HAJIMEの料理は進化する人間の真の食事のあり方を示している!?

私の食に対する興味とはこの程度のものだった。食べることを心底楽しむというより、その技術や食品としての安定性のようなものに関心を持っていた。

ところが、HAJIMEの料理と出会って、心底料理を楽しむことを経験した。

私が料理そのものに対して、ある程度の興味しか持たなかったもう一つの理由は、自分でもかなり料理をすることにある。それなりの腕だと自分では思っているので、人が作った料理に対して感動することが少ない。しかし、HAJIMEの料理は自分では簡単に作れない全く別次元の料理だった.

Photo:HAJIME

HAJIMEの料理でまず驚かされるのは、その美しさである。出される料理そのものが芸術になっている。大抵のレストランでは、芸術として完成度を極めた盛り付けはされない。おそらく、食材の持ち味を生かすというコンセプトがあるからだろう。ただ、そのような盛り付けを見ると、いつもそれが食材であることを言い訳にしているように思えたのだ。

一方で、HAJIMEの料理は言い分けなく完成された芸術になっている。そしてそれは、料理の見た目に限ったことではない。一皿一皿にテーマがある。たとえば、「愛」、「進化」、「諸行無常」、「魂」といったものである。人間にとって根源的な問題が料理のテーマになっていて、その料理を食べれば、「なるほど、これが“魂”なんだ」等と、納得してしまうのである。

その料理の説明を聞くと、さらに驚かされる。こちらが想像しているよりも遙かに緻密に考え抜かれて食材や調理法が選ばれているのだ。皿の上にある全ての食材の形、色、香り、味、食感、音に、そのテーマを表現するための意味が与えられているのである。無論、お皿の選択にも十分な意味がある。

それ故、HAJIMEの料理をいただくときは、五感だけでなく、脳がものすごく働く。食べるということは、おおむね本能に従った行為で、食欲を満たすためにあるのだが、HAJIMEの料理は食欲を満たすと同時に、優れた芸術を見たときの感動と、深い知識を感じた時の感動を与えてくれる。食という本能に従った行為とそれらが深く結びついているためなのか、自然に“芸術”と“知識”が食事という行為の中で自分に飛び込んでくる。これこそがまさに、人間の食事なのだろうと思う。

先日、あるレストランで大きめに切った野菜が大量の盛り付けられたサラダを食べていた。野菜が一口で口に入るかどうかぎりぎりの大きさに切られているので、かなり一生懸命野菜を口に運ばないとうまく食べられない。

そうして一生懸命に食べている最中に、ウェイターが横から顔をのぞき込むように、「お食事中失礼します」と声をかけてきた。その瞬間、自分が退化して草食動物になったような気分になった。実のところ、「餌のお食事中失礼します」と言われたような気がした。

飢える心配がなくなった今日、食事を貪るように食べるというのは、自分としては恥ずかしい行為に思えるし、時間を無駄にしているようにさえ思える。そのような食事ならカップヌードルでいいのかもしれない。まだその方が技術の香りがする。しかし、本当に食事を楽しみたいなら、 HAJIMEの料理のような、“総合芸術”と向かい合うべきだ。

HAJIMEの料理は、“進化する人間の真の食事のあり方”を示しているように思う。

 

Photo:HAJIME – http://www.hajime-artistes.com/