シャンパーニュの足下を脅かす!? フランチャコルタの本家本元

ワイン縦横無尽 #18

ここ数年で日本におけるフランチャコルタの知名度は急上昇。シェアのうえではいまだ他のスパークリングワインを寄せ付けないシャンパーニュも、うかうかとはしていられない情勢だ。なにしろあちらはイタリアンモードのお膝元、ミラノ(の近郊)生まれ。ディオールやエルメスよりアルマーニやグッチという人には必ずや刺さるに違いない。

そのフランチャコルタの生みの親が「グイド・ベルルッキ」のフランコ・ズィリアーニ。次男のパオロが来日したのを機に、大手町の「ハインツ・ベック」でプレスランチョンが開かれた。

Paolo Ziliani

フランチャコルタの故郷はミラノの東80キロ。北にイゼーオ湖を臨む、風光明媚な土地である。50年代の半ば、コルテ・フランカ村にブドウ畑を所有していた貴族の末裔グイド・ベルルッキは、地元の野暮ったい白ワインをどうにかしたいと考えていた。今では信じがたいことだが、当時のイタリアワインはどれもこれも洗練度に欠けていたのである。

そのベルルッキに瓶内二次発酵によるスパークリングワインのアイデアを具申したのが、当時30歳の若き醸造家、フランコ・ズィリアーニ。ベルルッキは彼の意見を採用し、61年に伝統的製法によるスパークリングワインを「ピノ・ディ・フランチャコルタ」の名前でリリースした。

今日のフランチャコルタの前身となるこのスパークリングワインは、瞬く間にミラノに住む裕福な人々を虜にし、追随する生産者が続出。

1967年に原産地呼称のフランチャコルタが制定された際にはスパークリングワインのほか、白ワインや赤ワインも含まれていたが、95年のDOCG(保証付原産地統制呼称)昇格に伴い、伝統的製法によるスパークリングワインに限定された。使用品種はシャルドネとピノ・ネーロ(ピノ・ノワール)、それにピノ・ビアンコ(ピノ・ブラン)だ。