大人は最新を追う必要はない。だって身体が最新じゃないんだから~フォトグラファー・高木康行 Vol.1

 

 

 

 

 

 

profile:Yasuyuki Takaki

1968年、大阪府出身。DJ、ファッションスタイリストを経て、1994年からフォトグラファーとしてのキャリアをスタート。 メンズファッション誌をはじめ、ファッション広告、CDジャケットなどを中心に活動。2009年「TOTAL Exhibition Book」(TOKYO CULTUART by BEAMS,2009)、2012年「ジャン・プルーヴェ 20世紀デザインの巨人」(Pen BOOKS)、2013年「LIFECYCLING」(IDÉE)などの書籍撮影も担当。近年発表している類型学的な方法によって呈示した都市の肖像写真“GRIDSCAPE” シリーズは国内外で大きな反響を呼んでいる。

 

—今日もスニーカーですね。それはどこのですか?

雨が降っていたのでアディダスのゴアテックススニーカーにしました。これは便利で使えます。

 

—高木さんって、もともと革靴派でしたか? 最近はスニーカーを履かれていますが、高木さんを昔雑誌で見ていた頃は、ジャケットを着て革靴履いて〜というイメージがありました。

そうですね、スタイリスト時代はずっとほとんど革靴でした。ウェストン、パラブーツ、イタリアのシルヴァノ・マッツァ、アメリカならオールデンとか履いていました。20代後半から30代まではほとんどいつも革靴でしたね。

 

—そんな高木さんが初めて履いたスニーカーは何でしたか?

スニーカーとの出会いは、小学校くらいの頃。ちょうどナイキの黎明期でした。大阪に住んでいたんですが、店でナイキのコルテッツを見つけて、どうしても欲しくてねだって買ってもらいました。それが自分の意志で手に入れたい!と思った初めてのファッションアイテムだったと思います。子どものスニーカーで1万円くらいはしたかな。あと、当時はブルックス、ニューバランス、エトニックが高級スニーカーでした。

 

—フォトグラファーになってからスニーカーを履くことが多くなったんですか?

そうですね。でもハイテクスニーカーは得意ではないんですよ。コンバースやヴァンズみたいなのが多かったですね。全然詳しくなかった。

スニーカーが面白いなと思ったのは、エルメスがスニーカーを作って話題になった頃です。エルメスみたいなブランドだと、グッドイヤー製法でスニーカーを作るから底が張り替えられるんだなとか、面白いなと思いました。多分5〜6万くらいしたけど、もの珍しさもあって買いました。上質のレザーを使っていたので、グレーのスーツに合わせても違和感がない雰囲気でした。エルメスのスニーカーが出るまでは、ずっとコンバースとかだったかな。

 

—スポーツブランドのスニーカーを履くようになったのは、なにかきっかけがあったのですか?

2006年くらいに型落ちのニューバランス1500がオシュマンズに売っていてそれを履き始めたんです。1500は型落ちだったけど、近年の最先端技術を使っていたもの。僕の身体ももう型落ちだから、ぴったりだったんです(笑)。最近のものじゃなくて全然いいんです。

それを履いて、いいスニーカーはいいんだな、全然歩きやすいんだ!って初めて知って。それは衝撃的でした。ずっと肩こりに気づかなかった人が、肩こりを気づいたような感覚で。それは劇的な変化でした。ずっと革靴かコンバースだったんですからね。革靴はよっぽど歩きづらかったんだなあ、と気づきました。

 

—ニューバランス1500。番号も覚えているなんて、詳しいじゃないですか。

全然詳しくなかったけど、頑張って覚えたんですよ。例えば1300はラルフローレンが好んで履いていたとかね。でも、エアマックスが流行ったりしていた時期は全くスニーカーに興味がなかった。雑誌『ブーン』とかが牽引していたスニーカー文化には全く疎くて、スニーカーのことはほんとに知らないんですよ。

そんな僕がニューバランスを履いていて勉強になったのは、ちょっと堅めのクッションが僕には丁度いいのかなと。堅過ぎず柔らか過ぎずのバランスが絶妙なんです。