森村泰昌は自画像の歴史のアンカー役となりうるか。

アートうたかたの記 #4

「自撮り」ブームも世界規模ですっかり定着した感がある。意識高いかどうかは別として、自己PRのために姿形を人目に晒すことは、もはや芸能人やセレブリティならずとも特別なことではなくなった。

そこで自撮りの大先輩といえば、森村さんである。

絵画や歴史上の人物、映画女優などに扮したセルフポートレートを制作し続けてきた現代美術家・森村泰昌。なかでも美術史シリーズの集大成となる大規模な個展がちょうど地元・大阪で開催されている。

「西洋美術史は自画像の歴史でした」と森村さんは言う。では、日本人アーティストである彼が自身をモチーフに創作するとき、そこにはどんな衝動や覚悟があるのだろう。今回何度目かのインタビューで、その真意を訊ねた。

「僕の思春期の感性を育成したのは、敗戦後の輸入物の民主主義と美術教育でした。産みの母は昭和天皇、育ての父はマッカーサー。その間でしっくりこない居心地の悪さを感じて育ちました。美術の先生はみんな洋画家。神国日本を思い出させる富士や太陽の日本画は教科書にも出てこない。偏っていましたね」と森村氏。

「夏休みの宿題で、ちょっとませた子が油絵で薔薇の絵を描いてきたんです。紙でなく布やし、ねっとりした絵の具の匂いがおとなびていて憧れました。それ以来ずっと意識してきたのは西洋美術。日本人のアイデンティティとか、アジアの一員とか、いまさらそう安易には言えないんですね」。

どうにも逃れられない西洋美術史という「親」に愛憎入り交じった感情を抱きながら、彼は自画像的作品のなかに自分を消し込むことにより、美術作家としての「私」を獲得し、新作を発表するごとに成熟を遂げてきた。

たしか「私の中のフリーダ展」(原美術館)でのインタビューのときだっただろうか。「僕の作品をずっと前から観てくれている人はそれほど多くないから、住吉さんにはこの(美術批評の)仕事続けてほしいナ」と言っていただいたことがある。そのとき、私自身も一介のアートジャーナリストとしての「私」の役割を自覚し、密かに意気に感じたことは忘れられない。