日本男子がイタリアに目覚めたのは、「大盛りパスタ」カプリチョーザのおかげかも!?

レストラン熱中派 #8

ご存知だろうか? 今やアジアを中心に海外20店舗、国内は109店舗も展開している「カプリチョーザ」は、もともとオーナーシェフの店だった。

創業は1982年、本多征昭氏が渋谷に開いた店がそれ。今も氏自作の店の看板「華婦里蝶座」はそのまま入り口に掲げられてる。場所は渋谷からも表参道からも徒歩15分ほど。

本多シェフの手彫りによる看板。今でも渋谷店の入り口に掲げられている。

当時からアクセスはさほどよくないにもかかわらずすぐに行列ができる人気店だった。

その理由は、皿からはみ出るほど大盛のスパゲッティや、食べるのに戸惑うほどの大盛サラダ。

イカとツナのサラダ
イカとツナのサラダ900円。野菜不足の学生に喜ばれたサラダ。ここで野菜をチャージすることが、一人暮らしの食生活には欠かせなかった。

とにかく一皿1,000円前後の料理は、十分2~3人でシェアできる量があり、一人3,000円もあれば、お腹いっぱいになった。そしてその味は、ほかにはない、独特のイタリアらしさがあった。

実は本多氏、日本ではあまり知られていなかったが、イタリアでは大活躍した日本人だった。1962年にローマのホテル学校に入学し、なんと日本人としては初めて主席で卒業した。

在りし日の本多征昭シェフ。いつも厨房でフライパン片手に料理に集中していたので、一度もお話しすることはかなわなかった。でも、本多シェフの言いたいことは料理にすべて込められていたと思う。

その後も、仕事をしながらイタリアの料理コンテストで数々の賞を受賞。1972年の大阪万博では、イタリア政府から請われて、イタリア館のシェフとして来日していた。

そんなすご腕シェフが東京に店を出したのだ。私もそのころは大のお気に入りで、週に1度は通っていた。とはいえ、そんな事実を知ったのはごく最近。

何しろ「華婦里蝶座」は大忙しで、シェフは厨房の奥でずっと料理をつくり続けていたし、サービスの方はきわめて無口、注文を取るだけですぐさま厨房へひっこんでしまう。考えてみればなんともナゾの店だった。

ところが88年に本多氏は亡くなり、生前から交渉していたWDIという会社が名前とスタイルを受け継いだ。その後、「大盛パスタ」というコンセプトはほかの店でも大流行。環七の「パッパガッロ」、外苑前「スパゲティ・ファクトリー」なども一斉を風靡した懐かしい店だ。

「カプリチョーザ」の功績は、それまで女の子ばかりだったイタリアンに、男同志、それも若い学生を歓迎したこと。彼らが居酒屋、定食屋と同じ感覚でワイワイ食べに行ける「初めての日常のレストラン」になったからだろう。

トマトとニンニクのパスタ 現在はレギュラー950円、取り分け(2~3人向け)1,850円の2サイズあるが、以前は皿からはみ出るワンサイズのみ。敷皿があったのが印象的だった。

本多氏のパスタは、今の日本に広まるパスタとは違うことは確かだ。今の日本のイタリアンはどこでもアルデンテに茹でる“食感”至上主義。本多氏はしっかり茹でて、ソースを吸わせた“味”のパスタ。

今の時代にはそぐわないかもしれないけれど、にんにくの香りが充満していた「華婦里蝶座」を思い出すと、ちょっぴり目がうるむほど懐かしくなる。

 

Photos:WDI JAPAN

 

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