「ぴあmapグルメ」は食の編集者を育てる1,000本ノックだった!?

レストラン熱中派 #7

今回はこのコラムの第1回(「私がレストラン批評にはまるまで!?」)に書いた“私の業界入り事情”のパート2。

街の情報誌『アングル』は、残念なことに1985年に休刊となった。しかし世の中の景気は上向き、若者向けの雑誌は次々に“食”の情報を特集するようになった。

『アングル』で仕事をしていたスタッフが設立した編集プロダクションに所属することになった私も、食に関わる仕事が増えていった。その中でいちばん大変だったのが、『ぴあ』が隔週で連載する街別の飲食店特集を担当することになったときである。

駅を中心にエリアを決めて、エリア内の道をすべて歩いて、飲食店(和洋中・アジア、酒、甘味、喫茶、ファーストフード)を地図上に約200店記載する。さらにその中から取材・紹介記事にする飲食店を50店、喫茶店を30店選び、実際に店に行くか、電話で取材の依頼をする。

3、4人のスタッフで地図作りを手分けしたが、店を選ぶ作業は私の仕事だ。といっても、当時20代の小娘がすべての店に食べに行った経験があるわけがない。もちろん、試食する時間も予算もない。

できることはガイドブックや地元商店街の資料を調べたり、お店の人に評判を聞いたり。徹底的にデータを集め、自分なりに情報の信頼性にランクをつけて、選択の参考にした。

あとは実際に店の前をうろうろしながら、店の周りが清潔か、料金は明示されているか、出てきた人は幸せそうか……(これは今でも、初めての店を観察する勘の利かせかたの基礎になったと思う)。

世の中は一億総グルメ時代に突入しようとしていたのだから、大切な基準は人気のある店を確実に載せること。もちろん、まだほかの本で紹介されていない、いい店を載せることができればベストだ。ただ、そこにこだわれるほど時間も予算にも余裕はなかった。

連載は2年間続き、その後、恐ろしいことに年度版で発行される別冊になった。第1巻は87年7月に発行。首都圏30エリア、店のリストはなんと7,000店。ぴあのウリは、細かくて正確な地図、圧倒的な情報量にある。

原宿青山エリア。表参道沿いはブランドショップより、カフェバーが並んでいた。

そこに「グルメ」というジャンルが加わって、本のタイトルは『ぴあmapグルメ』。でも、このタイトル、まったく気に入らなかった。この本は食通のための“グルメ”とは違うと考えていたから。

表紙はぴあの表紙をすっと書き続けた及川正通氏。

それでも、多くのグルメを目指す人々はこの本を買ってくれて売り上げはよかった。毎年7月、8月に、前年度の記事の確認をして訂正を加え、新しい話題を特集にする。この作業のおかげで、私は東京中の街の地図と店の名前を常にアップデートできた。

最終的に8年間担当したが、最後は1冊に10,000店のデータが掲載されていた。苦労は多かったが、とにかく広い東京の隅から隅まで、膨大な数の飲食店を知ることができたのは今の私の財産になっている。

ちなみに最後の1995年版の特集は「東京近郊の店がおもしろい。都心から1時間でグルメする」(またもや、グルメを乱用)。立川「楼蘭」の脇屋友詞シェフ(今や日本の中国料理界を代表するシェフ)、埼玉県吉川の頃の「ほそ川」(両国に移転して江戸蕎麦と名のる)など、まさに“グルメな店”もちゃんと紹介している。

いいガイドブックだったな、とひそかに自画自賛している。

 

 

【Byron’s Pick Up】

由布院で朝食を。-こんな理由で旅に出る!?

マーロン・ブランドゆかりのタヒチ「The Brando」は、エコ・ラグジュアリーなリゾート

ワインあるよ。赤と白、混ぜればロゼの3種類!?

蔵元の気質はDNAに埋め込まれ、絶滅の危機を脱する!?

大好物!? メゾン・マルジェラのロングコート

 

Image Photo:graphicmaker/shutterstock