紳士服地はミルで選ぶか、マーチャントで買うのが正しいか?

筆者がテーラーで服を作るという道楽を始めた昭和50年代はまだ、「服地はマーチャントでなくミルから買え」という洋服通が多かった気がする。

理由は、ミルから直接仕入れる服地のほうが、仲買業者を通ってくる服地より割安だったからだと思う。また、「このミルは日本で知られていないけれど価格の割に質のいいものだよ」、という情報を先輩の洒落者から仕入れることも服を作る楽しみのひとつになっていたわけである。

さらに言えば戦後の混乱期の日本では、マーチャントの服地がときに、どこのミルで製造されたのか判らない、出所の怪しい製品も混じっていたこともあって、ミル偏重傾向と結びついていた気がする。

しかし最近、マーチャントを見直す出来事があった。

筆者が2019SSの展示会を見物にトゥモローランドのショウルームへ行ったとき、偶然、トゥモローの企画部に服地のセールスに来たイタリアのマーチャント親子に出会ったのである。

なぜかその場の空気の成り行きで、メンズドレス企画のOさんが彼らを紹介してくれて、なんと飛び込みでインタビューに応じてもらったわけである。

マーチャントの名はカチョッポリ(Caccioppoli)。ナポリの洒落者で、その名を知らないのはモグリといわれる、1920年創業の生地屋である。

あえて生地屋と書いたのは、ナポリなどにある小規模なテーラーは基本、店に生地のストックを置くことはまれだからだ。顧客は、カチョッポリのような店へ行き、気に入った生地を1着分だけ切り売りしてもらい、それをテーラーで仕立てもらうケースがほとんどだ。

そのために、そうした服地にはメーカー名を示す耳がない。

「カチョッポリは、いつも親しい友達に接するように生地を売る。常に良いモノを見てもらい、楽しんでもらいたいんだ。そうして生地を買いにまた店へ戻ってきてもらうのが大切なこと。生地に耳だって? そんなことを気にする奴はナポリにはいないよ。だって友達だから信頼されている。生地に耳を付けて名前を入れるようになったのは、日本のマーケットから最近学んだことなんだ」と、4代目の社長にあたるヴィンチェンツォ・カチョッポリは教えてくれた

で、まずはヴィンチェンツォ社長が自ら作るというバンチ(生地見本帳)を見せてもらった。

「ウチは4代続く家族経営だから、社長だってバンチ作りなど、何でもやらなきゃならない。このバンチは、最初のほうにシーズンの一番新しいモノを持って来て、後ろへいくに従ってクラシックな柄を入れる工夫をしているんだ。以前は、モダンとクラシックの割合は半々。今はモダンが8割、クラシックが2割ってとこかな。新しいものが好まれる、時代の流れだね」

服地の柄のデザインは、息子であるコジモ・カチョッポリが担当。バイヤーとして世界中を旅しながら流行情報を仕入れ、そのネタを基にしてミルに出向き、カチョッポリ用にほんの少し色柄の組み合わせを変えたものを別注するという。

「イタリア人は、人と同じものを好みません。個性を重んじる人が多いから、大手メーカーの作る服地とは、ほんの少し色をアレンジしたものにするのがコツ」と、コジモ。

ミルに注文する最低ロットは200メートルというから、責任は重大だ。

来春夏向けの新作バンチをめくっていくと、「これはナポリの青。ウチの得意とするものなんだ」と自慢する一群の生地の中に、筆者が昔、アントニオ・パニコに仕立ててもらったジャケットに似た、ざっくりとした平織りで作られたブルーのリネン服地があった。

そのことを話すと、ヴィンチェンツォ社長は、なんだお前はパニコを知ってるのか、という顔をして、「アントニオ・パニコはウチが服地を置いてもらっているテーラーのなかで、もっとも優れた仕立て屋なんだ。彼のスタイルはインターナショナルに通用する。いっぽうもっともナポリ的なサルトといえば、ヌンツィオ・ピロッツィだね。私が最初にスーツを作ったのは、ピロッツィだった。その頃(1970年代後半らしい)は、まだナポリ駅の近くにある小さな店だったよ。無名の職人だったけど腕が良くて、生地を買いにくる客たちに宣伝してあげたものさ」

筆者が、「値段が安くていい服を作るテーラーがいるらしい」という噂によって、ピロッツィに7万円でネイビージャケットを仕立ててもらったのは、1990年代前半のこと。それから数年後に、彼のギャラはその数倍に高騰してしまったから、筆者はすごく得な買い物をした、と今も感謝している。あの情報のルーツは、そして店で選んだ素敵な紺色の服地は、カチョッポリだったのか!

カチョッポリのイタリアでの商いは、今も、サルト向けが多い。トレンドにナポリテーストがうまく馴染んだその服地は、ミラノやフィレンツェやローマの著名テーラーにも評価が高いという。

日本とはまったく異なる、マーチャントと服好きの客とサルトとのちょっと親密な関係。筆者はそれをうらやましく感じた。

またもしナポリへ行く機会に恵まれたら、ANTONIO CICCONE通りの8番地にあるカチョッポリの店で生地を選び、秘蔵の若手サルトを教えてもらうことにしたいものである。

ナポリの老舗マーチャント親子。右/ヴィンチェンツォ・カチョッポリ社長、左/コジモ・カチョッポリ。ふたりともそれぞれ贔屓の秘蔵サルトで仕立てた上着を着ている。/Photo:Shuhei Toyama

Photo:Shuhei Toyama