「寄り添う」って言葉は未来を切り拓くキーワード⁈

非常に便利な言葉だから、多くの人が深く考えもしないで「寄り添う」を使う。その状況に違和感を抱きながら、私もついつい口にしてしまう。「ワクワクドキドキ」という言葉にも似たところがある。ワクワク感とかドキドキ感とか広告デザイナーが言うのを聞いて最初はなんだか違和感を覚えたが、これも便利なことばである。期待に膨らむ感情的なニュアンスを親しみやすい語感で表現しているために、いつのまにか自分も使うようになっていた。

なぜ「寄り添う」という言葉を使ってしまうのか。他に代わりの言葉はないだろうか。みんなが使っているから嫌いだと、へそ曲がりのことを言わないで、この言葉の意味を考えてみることにした。まず、「寄り添う」を「寄る」と「添う」に分解する。

相撲で「寄り切り」と「押し出し」の違いをご存じだろうか。まわしをとるかとらないかの違いで、「寄る」は相手のまわしをとって相手を土俵の外へ出す、「押す」はまわしをとらずに相手を押し出す。つまり、「寄る」とは、まわしをとって相手の体を引き寄せることで相手の動きを封じ込めた上で相手をコントロールすることである。

「引く」と「寄る」の違いを考えるのも面白い。「引き落とし」の「引く」は、突進してくる相手に対して自分の体を遠ざけて相手の勢いを利用する。一方、「寄る」は相手の体を自らの力で自分のほうに引きつけ、体を密着させて相手の動きを封じ込める。「引く」は相手と距離を置いて相手を客体化し、「寄る」は相手との距離を縮めて一体化を図っていく。撮影の際の「引き」や「寄り」を考えてもいい。

では「添う」はどうか。「添う」は「そばにいる」とか「付き従う」という意味がある。「寄る」と同様、自らの意思で他者と一体化を図っていく行為であるが、「寄る」は相手の動きをコントロールするところまで至る場合があるが、「添う」は最後まで受身の行為である。「添う」という行為をするのまでは自らの意思だが、「添う」はつねに相手や周囲の状況を見守っている。

『スラムダンク』の桜木花道の名セリフに「左手はそえるだけ」というのがある。その左手の動きは身体全体の動きを受け止めるのみ。右手のみならず脚や体幹、ボールの動きまで、周囲のあらゆる力学のバランスよく整えるのが左手なのである。

相手に押し付けるのでなく、相手を客体化するだけないのが「寄り添う」。それがデザインという営みと重なり合う。デザインには共感する力が不可欠だ。共感する力とは、自分だったらこうするとか、きっと見る人はこう感じるだろう、この場面では人はこのような行動をとるだろうと、自分が他者の立場になったり、自分の体験と他者の体験を照らし合わせて、他者の気持ちを理解したりする能力のことだ。

ビッグデータを集めてディープラーニングの技術を駆使して、人間の行動予測をすることは可能だろう。しかし、人の心の機微を推し量って新しいサービスを提案したり、ワクワクドキドキを生むデザインを創造する芸当をAIに期待するのはむずかしい。共感の演出にはどうしても人が必要だし、共感のベースにはあるものは人間の身体性である。そして、共感する力をやさしい言葉で言い換えたのが「寄り添う」なのだ。身体があるから「寄る」もできるし「添う」もできる。

「寄り添う」がいま多くの人に使われているということは、「共感する力」が必要とされていることの証左である。遠くの世界で起こっている出来事を自分事として引き寄せる力、当事者意識をもって社会のさまざまな問題と向き合う力、声なき人たちの苦しみを感じとる力──そうした共感する力がいま必要とされている。

共感する力なき問題解決は答えの押し付けで終わり、共感する力なき自己表現はただの自己満足に終わる。「寄る」と「添う」が寄り添いあう自己言及的な構造をもつこの「寄り添う」という言葉は、押しても引いても動じない世界の未来の扉を開くためのキーワードなのかもしれない。

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