『クローゼット』は服を愛する人にお勧めしたい珠玉の小説である

学生の頃、筆者はモダンデザインの素晴らしさについて教育された。

たとえば、モダニズム建築登場以前の建築は様式主義(歴史主義)と呼ばれた。様式主義とは、建物の用途によって、建築のデザインを選択することである。

一例を挙げるなら、荘厳な教会や国会議事堂はゴシック様式、瀟洒な都会の住居はロココ様式、ロマンチックな劇場はバロック様式、知的な図書館はルネッサンス様式という具合に。

19から20世紀前半の建築家の主な仕事は、設計する建築の用途にもっとも適したスタイルを、過去にあった建築様式から選びだすことであったろう。

いっぽう、モダニズムの洗礼を受けた建築家はそのようなマネをしない。世界中どこの場所に建てようが、またどんな建物であろうが、目指すべき方向はただひとつ。

それが、機能を追求し、そこにシンプルな美を見いだす、国際様式と呼ばれるモダニズム建築なのである。

モダニズムを服に譬えると、男性ではスーツになる。スーツは、ビジネスマンの国際服として機能した。

いっぽう女性服を中世の呪縛から解き放ったのはシャネル。シャネルの作る楽チンで軽快な服は、窮屈なコルセットから女性を解放したとされる。

こうした教育を受けた筆者のような者は、いつしかモダニズム登場以前のデザインに重きを置かない傾向が身についてしまった。おまけに、服飾史の教科書は退屈で、図版のクオリティも低いものが多かったため、読んでも臨場感が湧かないのである。

ところが『クローゼット』は違った。主人公は、服飾美術館で古典的な西洋服を当時の姿のままにキープしようとする補修士たち。そこで必然的に語られるドロワーズ、クリノリン、バッスル、パニエ、ナイロン登場以前のストッキング、さらには手作りのレースといったウェア類の、手作りならではの美しさと蘊蓄は、服好きを魅了せずにおかない。

紋切り型の服飾教科書では、単に女性の身体を変形させる悪者として扱われていたコルセットも、ここでは美の理想を極限まで追求した当時の女性たちの凄まじい感性の結果として評価されている。

クリノリンで極端に広げたドレスの裾に暖炉の火が移り焼死した女性の話など、人間の服に対する飽くなき執着の結果の数々を前にすると、機能や快適を追求したモダンもいいけれど、古典服はさらに奥深いな、と思えてくるのである。

勉強不足で、著者の千早茜という人の経歴は知らないが、この女性はお洒落IQが相当に高いな、と思わせる文章が散見される。

「あんな接着芯なんか使った紳士服着なくてもねえ」
「でも、麻生さんはいいの着てるわ」
「ほんと、胸のあたりがぱりっとして、仕立てがぜんぜん違う」

これは39ページに載っていた補修士たちの会話。唐突に麻生さん、と出てくるので読み飛ばしてしまう人もいらっしゃるだろうが、これは今話題の麻生太郎財務相のこと。

副総理の着こなしは、テカテカした生地と帽子によって、マフィアみたい、と評判が芳しくないが、仕立ては夭折した天才的カーレーサーにしてウエルドレッサーの福沢幸雄も通っていた青山のテーラーである。その仕立ての良さを指摘するあたり、かなりの紳士服通と見た。

いっぽう82ページにはこんな文章がある。

「レースを見つめていると、一面に霜柱がたった寒い冬の朝を思いだす。庭に咲き誇る花々が時を止め、世界のかけらが白く凍りついたよう、こんな美しく完璧な世界を自分の手で作れたらどんなに幸福だろう。アンティークレースには手仕事のあたたかい歪みがある。」

筆者は、手縫いの素晴らしさを、これほど美しく端的に表現した文章をほかに知らない。

『クローゼット』は、ミステリー風の要素を含ませながらも、人間にとって服とは何か、装うとはどんな意味があるのかを考えさせる、素敵な小説。

この春にファッション業界に入り、五月病にめげずに頑張っている若い方にもお勧めの一冊である。

Photo:Shuhei Toyama