アレックスたちドルーグたちの暴力衝動の象徴としての、ベートーヴェン『第9交響曲』

バージェスは、レニングラード旅行の際、独自のロシア語記憶術を発明し、そこから10代の若者たちのストリート言語である「ナッドサット語」を生み出した。ナッドサットとは、「10代」を意味するロシア語の接尾辞である。原作の要旨を簡単に言ってしまうと、10代の若者は姦淫、暴力、盗み、ドラッグその他数々の悪徳に対する欲望を思いのままに満たすもの、ということになろうか。そして最終章で、主人公のアレックスとその仲間たちは、まっとうな社会の一員へと成長していく。まるで暴力の時代はあくまでも一時的な、大人になるためのごく自然な通過儀礼だとでもいうように。

スタンリー・クーブリック監督は、最初にこの本を読んだとき(『博士の異常な愛情』同様にテリー・サザーンから薦められたものだ)、ナッドサット語が難解すぎるという理由から、映画化には不向きだと判断した。にもかかわらず、クーブリックは初めて単独で脚色する作品として『時計じかけのオレンジ』を選び、じっくりと、ときに一語一語を追いながら原作を研究した。

スタンリー・クーブリック監督・脚本・製作作品『時計じかけのオレンジ』(原題A Clockwork Orange)は、15歳のアレックス・デラージ(マルコム・マクダウェル)の邪悪なうすら笑いで幕を開ける。

『時計じかけのオレンジ』Blu-ray¥2,381+税/DVD¥1,429+税
ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
©1971/Renewed c 1999 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved

アレックスと3人の「ドルーグ」(友だち)は、「モロコ」(ミルク)を飲んでから街に繰り出す。酔っぱらいの老人に暴行し、女をレイプしようとしていた敵対グループと喧嘩をし、盗んだ車を狂ったように走らせ、作家のフランク・アレクザンダーの家を襲撃し、彼の目の前でその妻を凌辱する。アレックスは、『雨に唄えば』を歌い踊りながら、蹴り、殴り、そしてレイプする。

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このシーンは、第二次世界大戦中に実際にパージェスの身に起こった悲劇をもとにしている。彼の最初の妻は、妊娠中に4人のアメリカ人脱走兵に暴行され、流産した。その後、うつ状態に陥った彼女は自殺を図った。パージェスにとって『時計じかけのオレンジ』を書くという行為は、憎しみを排除するためのものだった。

帰宅したアレックスは、歓喜にみちたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『交響曲第9番』を聴きながら、戦争や爆発、吸血鬼、絞首刑、死、そして破壊について思いをめぐらす。

翌日の夜、アレックスは巨大な男根のオブジェで女を殺すが、彼を裏切って警察に密告したドルーグたちによってその場に置き去りにされる。14年の刑を言い渡されたアレックスは、2年間の服役ののち、反社会的衝動を直ちに取り除いて社会に送り戻してくれるという「ルドヴィゴ療法」(原題Ludovico technique、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのファーストネームに由来)の被験者になることを自らが志願する。

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刑務所付きの牧師はアレックスにこう警告した。「選択の自由を失ったとき、人は人でなくなる」。投薬され、椅子に縛りつけられ、閉じてしまわないように鉗子で瞼を固定された状態で、アレックスは暴力と堕落に関する映画を延々と観続ける。背後に流れているのはベートーヴェンの『交響曲第9番』だ。アレックスは2週間後、セックスや暴力のことを頭に浮かべただけで発作を起こす身体になっていた。

報道陣と政府高官の前で実験の成果を確認されたアレックスは、晴れて自由な世界になった。両親から縁を切られ、年老いた年金生活者たちに襲撃され、2人の警官(かつてのドルーグの仲間たち、ジョージーとディムだった)に死ぬほど殴られたアレックスは一軒の家に逃げ込むが、そこはかつて彼がその妻をレイプした作家の家だった。作家はアレックスを監禁したうえで、ベートーヴェンの『交響曲第9番』を華々しく鳴り響かせる。その音楽に耐えがたい嫌悪を感じたアレックスは、2階の窓から飛び下りて自殺を図る。

全身をギブスに固定され、病院で目覚めたアレックスの頭部は、医師たちによって元の状態に戻されていた。ルドヴィゴ療法の責任者の内務大臣は、自分の名誉挽回に協力してくれたら高収入を約束するという話をもちかける。アレックスは、ベートーヴェンの『交響曲第9番』を聴きながら、女とセックスしている自分の姿を思い浮かべる。そう、彼は完全に治っていた。

原作と異なり、最終的に社会の一員になるべく決心するという部分を欠いた映画版を観たパージェスは思った。「自由意志の擁護だったはずのものが、罪を犯そうとする衝動讃美へとすり替えられてしまった」。しかし、クーブリックは、原作のイメージはけっして損なわれていないと考えていた。「仮にその答えが善ではなく悪だったとしても、人には選択の自由が必要なのだ。その自由が奪われたとき、人間は人間以下の存在、すなわち時計じかけのオレンジになってしまう」。

かつては厳しい検閲を受けただろうセックス描写や暴力描写にある種の自由をもたらされたことが、クーブリックの決断に影響を与えていたはずだ。1969年のジョン・シュレシンジャー監督作品『真夜中のカーボーイ』(原題Midnight Cowboy)、1971年のサム・ペキンパー監督作品『わらの犬』(原題Straw Dogs)、1971年のケン・ラッセル監督作品『肉体の悪魔』(原題The Devils)といったメインストリームの作品が、忌まわしいX指定を受けながらも、興行的な成功をおさめ、アカデミー賞さえ獲った時代だった。実際に『時計じかけのオレンジ』はアカデミー賞で作品、監督、脚色、編集賞にノミネートされた。

『時計じかけのオレンジ』は、イギリスのマスコミで過剰な論議を呼んだ。本作を模倣した「ウルトラ暴力」事件が頻発し、映画のせいでそんな酷い行為に及んだと加害者たちが言い出したからだ。これはまったくの馬鹿げた言いがかりだったが、メディアはあらゆる手を使って本作を非難した。仕方がなくなったクーブリックは、イギリス国内での上映を禁止する措置をとった。1974年からクーブリックの死後の2000年に至るまで、『時計じかけのオレンジ』はいっさい上映されなかったことになる。

このようなことができたのも、新たな出資者となったワーナー・ブラザースとの間に特別に優遇された契約があったからだ。クーブリックは、本作を製作にするにあたって、200万ドルの製作費と、ファイナルカット権を含めた完全なる決定権、そして利益の40%を与えられていた。映画館のデータベースを作り上げたクーブリックは、映画の動員が見込まれる映画館のみ配給した。そしてこの効率的な戦略は、わずか200万ドルで作った映画に、4,000万ドルという利益をもたらした。

撮影は、本作と、1975年の『バリー・リンドン』(原題Barry Lyndon)、1980年の『シャイニング』(原題The Shining)のジョン・オルコット(1931-1986)。ドルーグたちが暴力の限りをつくすときのフィルムノワール風ライティングが素晴らしい。プロダクションデザイン(美術)は、本作と、1977年のジョージ・ルーカス監督作品『スター・ウォーズ』(原題Star Wars)と、1978年のリチャード・ドナー監督作品『スーパーマン』(原題Superman)のジョン・バリー(007シリーズの作曲家とは別人)。編集はビル・バトラー。

衣装デザイナーは、本作と『バリー・リンドン』と『シャイニング』のミレーナ・カノネロ(1946-)。帽子は黒のポーラーハットで、白を基調にしたシャツスーツに白いサスペンダー、股間部分にはフェンシング用プロテクター、パンツの裾を編み上げの黒いワークブーツでインしている、そして手にはスティックを持ち、というアレックスたちドルーグたちのコスチュームがパンクロック風スタイルで、斬新だ。

音楽は、作曲家でシンセサイザー奏者のウェンディ・カーロス(1939-)。この翌1972年に性転換手術を受けてウォルターからウェンディになった。クーブリック監督作品では本作と1980年の『シャイニング』と、スティーヴン・リズバーガー監督作品『トロン』(原題Tron)のスコアを書いた。

本作ではクラシック音楽の名曲が数多く使われている。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『第9交響曲』、イタリアの作曲家ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニの『泥棒かささぎ序曲』と『ウィリアム・テル序曲』、イギリスの作曲家エドワード・エルガーの『威風堂々』など。

ベートーヴェンの『第9交響曲』に関しては、映画の冒頭にアレックスの部屋でマイクロカセットテープが映る。ドイツの音楽レーベル「グラモフォン」がチラッと映り、「フェレンツ・フリッチャイ指揮、ベルリン・フィル」であることがわかる。

ドイツ出身の指揮者であるヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)でもなく、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)でもなく、ハンガリー出身のマエストロであるフェレンツ・フリッチャイ(1914-1963)なのが、クラシック通のクーブリックならでは、なのだ。

画像提供:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
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動画:felip989 – YouTube