振付・音楽・美術、ぜんぶ当世一流のコラボレーションは100年前からの当たり前!?

「ダンスの街」として近年広く知られるようになった横浜で、今年で23年目を迎える国際的なコンテンポラリーダンスのフェスティバル「横浜ダンスコレクション2018」がまもなく開催される。(筆者はこのフェスティバルで2011年から2016年まで新人振付家部門のコンペ審査員を務めた)

今回の上演作品でいちばんの目玉となりそうなのが、2016年にパリの日本文化会館で初演された『Parade for the End of the World』だ。

数年前からパリに拠点をもつ作曲家・音楽家の渋谷慶一郎。元パリ・オペラ座バレエ団エトワールのジェレミー・ベランガール。映像アーティストのジュスティーヌ・エマール。彼ら3人のアーティストによるコラボレーション作品となる。

「Parade(パラード)」とは、ちょうど100年前の1917年、パリ・シャトレ座で上演された前衛的な舞台作品のタイトルだ。

ジャン・コクトーが台本を、パブロ・ピカソが美術と衣装を、エリック・サティが音楽を、セルゲイ・ディアギレフからバレエ・リュスの芸術監督を引き継いだレオニード・マシーンが振付を手がけた、全一幕のバレエ組曲である。

当時の先鋭の芸術家たちが集ったこの実験的なプロジェクトはまさしく“イイトコドリ”であり、モダニズムそのものであったといえるだろう。その誕生から100年目を迎える年に向けて、現代芸術の精鋭たちが初演のリメイクを超えた新たな作品世界の構築に取り組んできた。

初演の『パラード』とはどのような作品だったのか。

舞台はある日曜日のパラード(お祭り)の見世物小屋。出演者のダンサーや軽業師、奇術師たちがテントの前で客寄せのためにパフォーマンスを披露し、小屋の支配人たちが客を呼び込んでいる。

ピカソのデザインによる舞台装置やコスチュームは最先端のキュビズム風の造形。大胆に歪みつつ危うい均衡を保っているところは現代のフランク・ゲーリー建築を彷彿させるが、それよりもはるかに牧歌的だ。

同じく、ピカソが描いた素晴らしい緞帳は、現在ポンピドゥーセンターに所蔵され、2016年に初演が行われたパリ・シャトレ座で限定公開された。(2013年に渋谷慶一郎によるボーカロイド・初音ミク主演のオペラ『THE END』がシャトレ座で上演され、この成功により渋谷はシャトレ座とパリ市現代美術館「パレ・ド・トーキョー」のレジデンス・アーティストとなる。これが本作のきっかけとなった)

モダンバレエの先駆的存在であり、すでにストラヴィンスキーがバレエ音楽を完全破壊した問題作『春の祭典』で騒動を巻き起こしていたバレエ・リュスの舞踊は、拍子抜けするほど優美でユーモラスだ。それでも妖しげな中国人の奇術師や生意気そうなアメリカ人の少女の振付にほのかに尖った身体表現が見られ、馬の着ぐるみがヨタヨタと登場するくだりは伝統的な舞踊文化を道化的に小馬鹿にしていて諷刺精神を匂わせる。

サティの音楽には、当時の“狂乱の”パリの喧噪を思わせるサイレンやタイプライター、ラジオの雑音、ピストルなど、さまざまなノイズや生活音が用いられている。

『パラード』の初演は『春の祭典』以来の一大スキャンダルとなったといわれている。

全編を通じて、当時としては挑発的でアヴァンギャルドな表現と捉えられたのだろうが、デジタルテクノロジーのスピード感や刺激に慣れた現代人から見るとだいぶ長閑な印象は否めない。

一方、アーティストたちはそれぞれの役割を楽しげに完遂しながらも、どこか投げやりにも映るその制作態度には、第一次世界大戦さなかの暗い影が不穏な色あいで差している。

その後『パラード』は不思議なほどリメイク企画や再検証の機会が少なく、時おり「バレエ・リュス」展やパリのピカソ美術館でアーカイブ映像を目にするくらいだった。
(1993年のアヴィニョン演劇祭で、アンジュラン・プレルジョカージュの振付、黒田アキの舞台美術で再演されているが、それも恥ずかしながら今回初めて知った)

その理由の1つに、もしかするとジャン・コクトーの書いた構成台本が後世の舞台芸術の作り手に継承されていないこともあるのだろうか?とふと思った。

調べてみると、その頃コクトーはまだ(ピカソやサティほど)高く評価されていなかったため、彼の構想を文章化したテキストは軽視され、というかほとんど無視されて上演されたという。(いかにも傲慢なピカソ、偏屈なサティらしいやり口だ)

ここで現代版『Parade for the End of the World』に戻ると、初演における陰のフィクサーともいえるコクトーの遺したテキストが、本作品でようやく息を吹き返すという。

Photo:COS-KREA

「映像を担当するジュスティーヌにリーディングしてもらって、それをレコーディングして音楽の中に入れていきました。カットアップしてリズム構造の中に入れたりもしています。彼女は声が良いので僕のここ最近の曲にリーディングやヴォーカルで参加してもらってます」(渋谷慶一郎 以下、渋谷)

また、オリジナルの楽曲では都市の描写に効果的に使われていたタイプライターやメガフォンを、本作では舞台上の映像に登場させ、言葉との連関を試みる。

Photo:COS-KREA

さらにサティの楽曲のリズム構造をトレースし、音を解体したというが、これは素人が想像するだけでも振付家にとって難曲になったのではないだろうか? それもクリエイションの初期は東京とパリの遠隔でのやりとりだったという。

「相当な難曲になっていると思います。七転八倒してました(笑) リズム構造は使っていても音色が違えば当然聴いた印象はまったく異なるわけで。あと、ダンサーは音色に反応して動いたり、振りを決めたりすることが多いのだなと改めて思いました。パリでの滞在制作の前は、楽曲ができた順番にMP3で送って、彼が振付を考える。その後パリのCNDでレジデンシーしたときに直接会って詰めていくという感じでした」(渋谷)

サティの原曲が極端に単純な構造であればこそ、いわゆるモダニズムの実験芸術に特有の「滑稽な空虚さ」が立ってくるような音楽を期待している。

すでに公開されているパリ公演のダイジェストを散りばめた予告映像で、ダンサーのジェレミーは「マルチタスクをもつ脳の内部にある複数の現実」「体内で慢性化した映像への病的依存」が本作品の現代的なモチーフになっていると語る。

Photo:COS-KREA

1917年初演の『パラード』では、20世紀初頭、急速に発展する世界における都市化・均質化に対する問題意識が隠されていたともいえるだろう。

では2017年、現代版パラード(世界の終焉のための)はいったい何を世界に投げかけるのか?

「情報過密とミューテーション。終わりの後のパラードとそのバリエーション」という回答が渋谷から返ってきた。

「1993年にパリ・オペラ座とアヴィニヨン演劇祭で『パラード』が再演されたときに舞台美術を担当した画家・黒田アキさんがパリの初演に来てくださったのですが、『僕らがやったときよりも全然面白かった』と言ってもらえました。93年版は原作をトレースしていたけど、僕たちのバージョンでは原作を壊してつくり替えています。リメイクではなく『パラード』をもとにした新しい作品だと思います。で、これ日本でむしろウケるんじゃないかなと思いました。過密、過剰に対する飢餓感が終わらない国だから」(渋谷)

予告映像では、パリの終演後、出口調査的インタビューに応えるオーディエンスたちが熱っぽく感想を述べていたのが印象的だ。

「肉体の概念化」「現実と虚構のあいだ」「人生の縮図」「世界の終わりを救うための共生の条件」といったフレーズが並び、この作品がシビアに同時代性に肉薄していたことがうかがえた。

1917年『パラード』初演のプログラムで、誰よりも早く時代性を軽口で切り取った詩人ギヨーム・アポリネールは「この作品は観客に“快い驚き”を与えることになるだろう」という言葉を寄せている。

「100年前の先鋭的な問題作の意志を汲みとって、敢えていびつな作品にした」(渋谷)という100年後の新作が、パリに続いて日本の観客に与えるのは“快い”刺激か、それとも“苦い”薬か。自身の知覚で確かめたい。

当代随一のアーティストたちの結びつきから生みおとされ、おまけに時代の切っ先に立つ創作であるこのプロジェクトは、まさに現代芸術ならではの“イイトコドリ”の体験となるはずだ。

『Parade for the End of the World』(日本初演)
横浜ダンスコレクション2018 ダンスクロス
日時:2018年2月15 日(木)〜 2月18日(日)
会場:横浜赤レンガ倉庫1号館 3Fホール
振付・出演:ジェレミー・ベランガール 
音楽:渋谷慶一郎 
映像:ジュスティーヌ・エマール
共同製作:パリ日本文化会館

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