休日の午後を不倫オペラ『ばらの騎士』で優雅に過ごしてはいかが!?

「フィガロの結婚」(モーツァルト)や「こうもり」(ヨハン・シュトラウス)みたいなストーリーと音楽に、たまにリヒャルト・シュトラウスらしい不思議な和声の旋律が出てくる。この不思議な和声の旋律とは簡単に言うと、彼の作品で私が一番好きな「四つの最後の歌」みたいに官能的なのに非現実的な旋律美である。加えて古今東西でも抜きんでたリヒャルト・シュトラウスの天才的なオーケストレーションの魅力が堪能できる。

だが主要4役に人を得ないと満足のいく上演にはならないから厄介な演目でもある。

今回は、元帥夫人(リカルダ・メルベート)、オックス男爵(ユルゲン・リン)、オクタヴィアン(ステファニー・アタナソフ)、ゾフィー(ゴルダ・シュルツ)の4人でなかなかバランスの取れた配役だった。

メルベートは現代を代表するワーグナー歌手だ。ちょっと感じも声もパワフルなので元帥夫人のはかなさをどう表現するのかと思っていたが、見事なメイクでなりきっていた。女は怖い。歌唱は素晴らしい。でも第1幕の幕切れで窓外の雨を眺めながら煙草を吸う演出はどうだろうか。

窓外の雨を見ながら元帥夫人は煙草を一服/撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

リンは手慣れた歌と演技。しかし第2幕のニッカボッカに赤い靴下の衣装は、田舎貴族を強調したいのだろうが、どうだろうか。田舎貴族でも貴族は貴族なのだが。

ニッカボッカに赤いソックスのオックス男爵は田舎貴族丸出し/撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

宝塚の男役みたいなアタナソフのオクタヴィアンは惚れ惚れする容姿だが、歌はやや一本調子だ。そういう役と言ってしまえばそれまでだが。

ゾフィー役の南アフリカ出身のシュルツは、人なつっこいおきゃんな感じは悪くないが箱入り娘という感じはしない。オクタヴィアンと元帥夫人の情事を知って驚き悲しむ演技はもう一つ。しかしこの役なら幸田浩子や安井陽子でも十分いけたのではないだろうか。

ゾフィーと宝塚男組みたいなオクタヴィアン/撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

特筆ものは、ウルフ・シルマー指揮の東京フィル。ちょっと管楽器のフォルテがきつくて声が聞こえない場面もあったが大力演。遅ればせながらシルマーの実力を今回初めて知った。叩き上げのカぺルマイスターという感じがよくわかる。それにしても長い指揮棒だ。

しかしこのオペラ、見れば見るほどいろいろなことに気付かされる。例えば元帥夫人は、オックス男爵に、ばらの騎士(結婚するゾフィーに銀のばらを持っていく役を担う)としてオクタヴィアンを紹介する時、「従弟のロフラーノ伯爵(オクタヴィアン)にその大役を引き受けてもらいましょう」と語るわけだが、つまり元帥夫人とオクタヴィアンはいとこ同士なのだろうか? そういう不倫はあの時代では普通だったのかしら。

また最後の場面も、普通の演出は小姓のモハメドが、ゾフィーの落としたハンカチを取りに来て、幕が下りるのだが、今回は何故かアメ玉を取りに来る演出。何か意味はあるのだろうか? まあ、そういう楽しみもオペラにはある。

この「ばらの騎士」は観終わって目頭が熱くなる公演も時々あるが、今回は師走の午後を楽しく過ごさせてくれる公演だった。

なお12月9日土曜日14時から最終公演がある。

撮影:寺司正彦
画像提供:新国立劇場