『プラトーン』のエンディングで感動的にかかるバーバー『弦楽のためのアダージョ』

「プラトーン」とは、アメリカの大学を中退した主人公が入隊する陸軍の小隊のこと。正しく発音するなら、プラトゥーンと読む。

この曲は、すすり泣くような旋律、中間部終わりの激しく突き上げる慟哭のようなクライマックスで知られる。演奏時間は10分程度。初演は1938年11月5日に、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮・NBC交響楽団によって行われた。アダージョというのは、音楽用語として楽曲に付けられた遅い速度記号のことを指す。

またこの曲は、1963年11月のジョン・F・ケネディの葬儀に使われて有名になった。そのため個人の訃報や葬送、惨事の慰霊祭などで定番曲として使われるようになったが、作曲家バーバー自身は「葬式のために作った曲ではない」と生前不満を述べていた。

おもな使用例として、 1945年8月の第二次大戦後のGHQ占領下の日本での最初のラジオ放送、1989年1月の日本の昭和天皇崩御の際にNHK交響楽団の放映された(ほかの演目は、バッハの『アリア』やブラームスの『交響曲第4番』など)、アメリカ同時多発テロから1年後の2002年9月に行われたニューヨーク市でのワールドトレードセンタービル跡地での慰霊祭、2011年3月の日本の東日本大震災後の仙台フィルハーモニー管弦楽団による復興コンサート。

映画では、1980年のデヴィッド・リンチ監督作品『エレファント・マン』(原題The Elephant Man)で主人公ジョン・メリック(ジョン・ハート)がラストでゆっくりと死んでいく場面や、1992年のジョージ・ミラー監督作品『ロレンツォのオイル/命の詩』(原題Lorenzo’s Oil)で副腎白質ジストロジーに悩む主人公ロレンツォが前半で苦悩する場面などで流れる。

では、『プラトーン』はどんなストーリーだったか。

主人公クリス(チャーリー・シーン)が、ベトナムへやって来たのは1967年。大学を中退してまでベトナムに志願したのは、次々と徴兵されていく同年代の若者たちのほとんどが、少数民族や貧しい者たちだったことに対する義憤からだった。だが、いきなり最前線の戦闘小隊(プラトーン)に配属されたクリスにとって、戦争の現実は彼の想像をはるかに超えた苛酷なものだった。

その小隊の隊長バーンズ(トム・ベレンジャー)は冷酷非情、顔の深い傷痕が証明するように過去何度も死線をくぐりぬけてきた強者だ。班長のエリアス(ウィレム・デフォー)は戦場にありながらも無益な殺人を犯してはならないという信念の持ち主であった。そのほか、さまざまな個性を持つ兵士たち13人の小隊は、人間の最大の罪悪といえる戦争の真っ只中に放り込まれる(その13人の中のひとりを、無名時代のジョニー・デップが演じている)。

ある日、ベトコンの基地と思われる小さな村を発見した。バーンズは真実を吐かないベトコンの村民を銃殺した。バーンズの非情さに怒りを爆発させたエリアスは殴りかかった。「軍法会議にかけてやる」と叫ぶエリアスと、彼の平和主義的言動に心よく思っていなかったバーンズの対立は決定的となった。

そしてベトコンの大部隊との大規模な戦闘が間近に迫ったある日。エリアスがひとりで斥候に出たとき、後を追ったバーンズが卑劣にも彼を射殺してしまう。やがて、ベトコンの大部隊との凄まじい接近戦が始まった。圧倒的な人海戦術の前に次々と倒れていく戦友たち。悪夢のような一夜が明ける。傷つきボロボロになったクリスの前に、バーンズが息も絶え絶えに倒れていた。エリアス射殺のことを気づいていたクリスは、バーンズに向けて怒りの引金を引いた。

そうしたエンディングで、サミュエル・バーバー『弦楽のためのアダージョ』が映画の余韻を噛みしめるように延々と流れるのだ。

地獄絵のような陰惨なベトナム戦争の戦闘シーンを最後で思い返すと、『弦楽のためのアダージョ』のすすり泣くような旋律が胸に迫って、無性に泣けてくる(涙)。クラシックの名曲が、映画の中で完璧に使われた例としてこの曲を忘れることはできない。

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動画:Gustavo – YouTube