ミュージカル『ハンナのお花屋さん』は全ての根源悪である闘争心を骨抜きにする“お花畑からの逆襲”だ。

舞台はロンドンの高級住宅地ハムステッドヒースにある一軒の花屋。貴族の血を受け継ぐデンマーク人のフラワーアーティスト、クリス・ヨハンソンは人気の花屋を営んでいる。彼の活動はブログやSNSなどネットを通じて、ますます注目を集めていた。

……と聞いてすぐに思い出したのは、同じくデンマーク人で、1980年代にボックスに整然と詰め込まれた薔薇のアレンジメントで一世を風靡し、以来東京を拠点に活躍するニコライ・バーグマンだった。さらに、小さな花屋の店員から腕1つで躍り出たというクリスのキャラクターは、同じようなキャリアを経て、艶やかで野性味あふれる花使いで人気のあるフラワーアーティスト・東信を思わせる。

クリスは彼らと同様、北欧ならではのナチュラルな清潔感や洗練さ、現場の活気とハートフルな接客、奔放で自由なセンス、といった魅力をもつ。現代を生きるアーティスト像に相応しいこのキャラクターは同時代の観客の共感を呼ぶはずだ。

店の名前「Hanna’s Florist(ハンナのお花屋さん)」は、デンマークの田舎町の森で生まれ育ち、花を愛したクリスの亡き母親の名に由来する。

ときに紗幕の向こうで繰り広げられる、幼い頃のクリスの家族の情景は、古典バレエにおいて森のなかの幻想シーンが常にそうであるように、記憶の奥に美しいまま封じ込められている。

しかし現実世界では、クリスはこの幸福に満ちた季節のあと一家に起こった忌まわしい出来事を、活気に溢れた花屋の日常に紛らわせてはいるが、忘れることができない。

花屋の仕事は順調そのもので、経営パートナーやスタッフ、地元の顧客などの隣人たちは、熱心さのあまり小さな衝突もあるが、基本明るく率直で情熱に溢れ、まさにハリウッドミュージカル的なポジティブでハッピーな“お花畑”世界が展開する。

ところで2016年に大ヒットした映画で、往年のハリウッドミュージカルの構成や手法を忠実に引用した『ラ・ラ・ランド』を思い出してほしい。映画や音楽の通人たちから「本物のジャズを描いていない」「ご都合主義的だ」などと批判されたりしたが、その切り込み方はまったく的外れだったと思っている。

なぜなら、この映画の監督がラストシーンで意図的に種明かしして見せたように、ミュージカルとは現実と仮想のレイヤー構造をもつ並行世界において、「if…」や「if not…」の階層、つまり自由自在に改編や倒置が可能な仮装世界を司る舞台芸術だからだ。

「ハンナのお花屋さん」の物語もこのようなレイヤーをもつ。

ある日、クリスの作品が栄誉あるフラワーコンペティションに入賞したことで、大手百貨店出店というビジネスチャンスが訪れる。滑稽にデフォルメされた百貨店の営業部長とその部下たちは、ここでは資本主義やグローバリズムを象徴する仮想敵だが、タカラヅカには根っからの極悪人は登場しないので、あくまで価値観のギャップを浮き彫りにするための罪のない役割を務める。

これに対して、クリスが偶然知り合って恋に落ちるクロアチア移民の少女ミアは、物語上でも、現代社会の構造のなかでも、人生の選択を突きつけ、聖書でいうところのトライアル(試練)の役割を果たす。彼女の置かれた状況や悲惨な人生経験は、お坊ちゃまのクリスの理解を超えた領域にあるが、彼はアーティストとしての想像力と、家族の問題に自身で決着をつけるという通過儀礼に直面することで、人生の岐路に立ち、次のフェイズに向かって成長していくのだ。

本作では、デンマーク時代、ロンドン時代、それぞれの地域性や社会状況、時代感覚が、身体言語、彩りの異なるダンスシーンや人物描写によって描き分けられ、説明的なレクチャーなしに理解を深めることのできる構成になっていた。

クリスを演じる明日海りおは「自然育ちの母と貴族の父の美点を受け継いだ花を愛するモテ男」という役柄を、往年のトップスター安奈淳を彷彿させるアンドロジナス的な爽やかな魅力で演じている。

ⓒ宝塚歌劇団

現在、世界のもっとも大きな関心事である戦争や移民問題、労働問題をデリケートな手つきで扱い、さまざまなアイコン的要素も散りばめられている。作中に登場する絵本『地雷ではなく 花をください』はその1つだ。

明日海がインタビューに答えて語った「(前略)花屋の王子でいいんだ……というところから企画の第一歩が決まりました」というコメントに象徴される本作のマインドは、宝塚歌劇というフェミニティの花園から投じられた“伝家の宝刀”であり、現代社会へのほのかな示唆とも捉えられた。

牧歌的と鼻で笑われてもいいが、現在の暴力と対立の構造を解体する特効薬は、政治的圧力や議論ではなく、全ての根源悪である闘争心を骨抜きにする“お花畑からの逆襲”にあるのかもしれない。

市民に愛される王子は、「丸腰」で、謙虚に、情熱的に働くものなのだ。

ⓒ宝塚歌劇団

宝塚歌劇花組公演
ミュージカル『ハンナのお花屋さん —Hanna’s Florist—』
TBS赤坂ACTシアター
2017年10月9日(月)~ 10月29日(日)
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/2017/hannasflorist/index.html