なぜアットリーニは、いまだ日本に旗艦店がないのだろう!?

筆者がアットリーニの存在を知ったのは、ピッティ会場で知り合いのバイヤー氏から「遠山さんにぜひ見せたいイイ服があるので」とお誘いをいただき、会場外にあるクラシックな某ホテルであたかも秘密クラブのように開催されていた、アットリーニの展示会場へ案内された1990年代中盤あたりだった。

そこで最初に感じたのは、ピッティの中央棟では決して味わえない、ある種のマニアックで反骨的な空気である。それをあえて言葉に表すと、このようになろうか。
「クラシコイタリアブームか何だか知らないが、そのルーツを作ったのはアットリーニなんだ。その流れを判っている奴だけがココヘやって来て服を注文する」と、いった感じ。
事実そこには、百戦錬磨のベテランバイヤーとか、店での買い付けはしないけれどココの服作りが気に入って個人的にオーダーに来た、違いの判る業界人などが集合し、何というか濃い雰囲気だった。

しかしこの時に筆者は、すでにロンドンハウスでスーツをオーダーした後だったから、すぐにこの土着的というかオタク的な雰囲気に馴染んでしまった。そしてこの幻のブランドを初めて日本に紹介したK氏の粋な計らいによって、特別にスーツのオーダーも受けてもらえることになった。

K氏はバブル時代にお洒落なデザイナー家具の輸入会社にいた人。業界人顔負けのお洒落好きでデザイン方面にも強い。ファッション界に進出するためにイタリア中をまわり、いち早くアットリーニに目を付けて代理店契約を結んだ。このとき同時に、彼の経営パートナーがタイユアタイを日本へ進出させた最初の契約者になったのである。

さて筆者のオーダースーツだが、メジャーリングは、アットリーニ3兄弟の次男にしていただいた。彼は、ディテールに関してさまざまな質問をして、筆者の好みを引き出しオーダーシートに記入する。

Q. 前合わせは? A. シングルブレスト。
Q. ボタンは? A. 3個ボタン段返り衿で。
Q. ベントは? A. ノーベントでお願いします。
Q. ハンドステッチは? A. 衿端に入れて欲しい。ついでに肩と背の中央に片返しのステッチも。
Q. トラウザーズは? A. 2プリーツ入りで、裾のマッキャンは4.5cm。
Q. 他に希望は? A. 後はすべてアットリーニのスタイルにおまかせします。

採寸し、3プライウールの重厚な生地を選ぶと、彼はK氏に何やら耳打ちしている。後でK氏が教えてくれたところによると『こいつはナポリ仕立てのディテールが判ってる』と、気に入ってくれたらしい。

何のことはない、筆者はロンドンハウスでオーダーしたときにカッターを担当してくれたトゥーリオ・アットリーニ(3兄弟の伯父にあたる)が着ていたスーツを思い浮かべ、そのディテールを参考にしたまでのこと。しかしこの最初の出会いが縁となり、その後、アットリーニの歴史を雑誌や単行本で紹介することができたわけである。

アットリーニのスーツは、ロンドンハウスの創業者ジェンナーロ・ルビナッチと天才的なテーラー、ヴィンチェンツォ・アットリーニのふたりが創造したサルトリア・ナポレターナを、ヴィンチェンツォの次男にあたるチェザレ・アットリーニ(3兄弟の父親)が現代の工業生産ラインとハンドワークを融合させたシステムで再構築したもの。限りなく工芸品に近い優れたインダストリアル製品である。

その後に、ベージュのギャバジンスーツ、黒のカシミアジャケットをベースにしたディレクタースーツなどをオーダーしたのだが、中でも驚かされたのは、黒の落ち感の良いウールツイル地で仕立てた1枚仕立てのコートであった。そのボリューム感と、軽く翻るように裾がなびく造形美は、まさに南ヨーロッパのフォーマルな夜にふさわしいエレガントさを醸し出していたのである。

ナポリ仕様の1枚仕立てだがエレガントなコート/Photo:Shuhei Toyama

しかしながらアットリーニは、これから日本で花開こうという重要な時期に、契約などがもつれにもつれて、いまだに日本の正式代理店はないままの状況が続いているのである。
あのときもしK氏の後を他の代理店がスムースに引き継いでいたら、今頃はブリオーニやキートンのように、銀座あたりに旗艦店が実現できていたかは、誰も判らない。

ただしひとつ言えるのは、アットリーニ一族は根っからの職人集団である。キートンなどのように、既製スーツとして世界最高峰の品質を保ちながらも、世界の主要都市にオンリーショップを展開してラクジュアリーブランドを目指す気はあまりないのではなかろうか。
そして、その頑固なサルト魂を感じたからこそ、当時の筆者はアットリーニを贔屓にしていたのである。

Photo:Shuhei Toyama