海外で飲まれている酒の半数以上が海外産!?じつはかなり昔からあった日本酒の海外生産

ものがあるだけではなく、一体どこで勉強したのかと舌を巻くほど博識な酒ソムリエも多数いらっしゃる。しかも、彼らの多くは海外ローカルの人達。海外における日本酒市場が海外在住邦人の枠を超えて現地ローカルの人達に広がっていっているのも頷けます。輸出に取り組む蔵元は年々増えており、ムードも実績も右肩あがり。日本の人口が1億2673万人(平成29年5月総務省統計)として、世界の人口は72億人を越えています。世界市場はまさにブルーオーシャン。このまま輸出が伸びると国内で飲む分がなくなるのでは、と心配する声があがるのも当然でしょう。

なのですが、日本から海外へ輸出している日本酒の量がどれくらいかご存じでしょうか?日本から海を超えていく酒は、国内全生産量のうちわずか3%強。世界市場を賄うにはあまりにも控えめな数字です。それもそのはず。実は海外で流通しているお酒の半分以上(8割以上という説もある)は海外生産のお酒なのでございます。

そもそも日本酒の海外生産はいつ頃から始まったのでしょう?はじまりは明治時代。ハワイやブラジルへの日本人移民が増え、現地で日本食の需要が高まったため日本食材や日本酒が輸出されました。しかしながら、日本から入ってくる酒に多額の関税がかけられたり、地球の裏側にあるブラジルまでの流通は難しかったりと、ことは容易ではありません。そこで酒を現地生産するようになりました。よく知られている醸造所はハワイのホノルル酒造(その後閉鎖)とブラジルの東麒麟でありますが、他にもアメリカ本土にいくつかの醸造所があったようです。これらの醸造所は戦争や禁酒法時代を経てほとんどが閉鎖されていきました。今や日本酒の輸出最大国であるアメリカ(2016年で全体量の25.9%)のその後の変遷を見ていきましょう。

戦後、日本は高度成長期を迎え商社などの多くの企業戦士がアメリカで活躍の場を広げていきました。日本の移民が多くなって酒が現地生産されはじめた時と同じように、1980年頃を期に再び酒が現地で造られるようになります。違うのは酒造りの担い手。1980年頃から日本の大手酒蔵が海外に工場を作り、現地生産の米を使って比較的手頃な市場価格で流通を広げていったのです。

私がアメリカ本土にはじめて行ったのは1980年代後半。当時、日本食レストランを訪れると接待利用の日本人サラリーマンがたくさんいたのを思い出します。お酒の種類はわずかしかなく、メインは現地生産の大手ブランドの酒。日本の小さな地方蔵の地酒を扱う店はごく少数という状況でありました。

当時の「海外生産清酒」の捉え方については意見が分かれるところで、必ずしも歓迎しないという人もいらっしゃるでしょう。例えばオーダーして出てきたお酒の味わいが日本で飲むものと違った、と。米も水も気候も違うため味わいが違うのは当たり前なのですが、加えて流通過程や店での保存状態が芳しくない場合は黄色く変色してしまう酒もあります(保存状態によってお酒がダメージを受けるのは日本国内でも同じですが)。そのような酒を外国の人が飲んだら日本酒のイメージにプラスにならない、と。そういう懸念を持つのは致し方ないところもあったでしょう。

一方、別の見方もできます。この時代、寿司ブームに湧いたアメリカ社会の中で日本食が急速に拡大していきました。その需要に対応し、市場に広く流通していったのは大手メーカーの海外生産清酒です。日本食を食べる時はSAKEを飲む。そのスタイルを確立し、SAKEの名を世界に広く知らしめたのは、これら海外生産清酒とも言えるのです。

その後、生産面では大手中堅メーカーによる海外進出がアメリカだけではなくアジアにも広がっていき、流通面でもSAKE市場の進化は続きます。1990年代に入ると市場では大手銘柄だけではなく、日本から輸出された地方の地酒が見られるようになっていきました。さらに2000年代に入ると、非日系現地ローカル企業が日本酒の輸入に着手するようになっていきます。同時にSAKEの飲み手も海外在住の日本人だけではなく、現地ローカルの人が増加。しかも日本への旅行者の増加やSNSの情報から、地酒の人気も上昇していきました。近年の輸出量増加に地方の地酒が大きく貢献しているのは間違いないでしょう。

そして今。ここ数年、海外の酒市場で新しいステージがはじまっています。それは海外ローカルの人によるマイクロブリュアリー(小さな醸造所)で仕込むクラフトSAKEの製造。すなわち、海外産「地酒」の登場です。

次回に続く

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