目の前のことを納得いくまでやりきってみる。そうすれば道は必ず開けていくのだ!?

けれども実際に入社してみたら、想像していたよりずっと地味な仕事だった。出版社に本を取りに行ったり、広告の原稿を雑誌に掲載するための入稿の作業をしたり、クライアントに本を届けたりといった雑用が大半だった。本は重かったし、出版社の人もそんな私にほとんど声もかけてくれなかった。

たまに上司と一緒にクライアントに行くこともあった。当時はアシスタントだったので、上司がメインとなって話していた。私は隣にちょこんと黙って座っていただけだ。日々覚えることはたくさんあったが、実はクライアントと直接向き合って、責任のある仕事をしたいと生意気にも思っていた。それゆえ、少し物足りない気持ちを感じていた。

当時の営業部長は、おそらく40代だったかと思うが、白髪で初老のイメージの男性だった。いつもパリッとしたスーツを着ていて、銀行員のようにも見えた。

いつも部下たちに厳しく、目を見張らせていた。「時間があったら新規クライアントを獲得しろ」といつも社員を追い立てていた。おかげで営業部員は昼間はいつも会社にいなかった。そして夕方5時以降になるといつも誰かが、新規先にアポイントを取る電話をしていた。

そんな部長に不平不満が溜まってか、いつも誰かがこっそり会社の悪口を言っていた。給与の水準もやり玉にあげられていた。確かに給料は低く、私も事務だった前職よりも下がってしまった。

毎月誰かが辞めていった。何となく仕事がつまらないとか、追い立てられた雰囲気が嫌だとか、収入が低いという理由で辞めていったのだ。

そんな中、私はひとりだけ優等生でいるわけではなかったけれど、まだ仕事を覚えていないので、何も言える立場ではないと思っていた。そして文句ばかり言っている人たちも、努力が足りないように思えた。昼間だらだら仕事をして、新規を取ろうという気はまったくなさそうだった。自分の仕事がうまくいかないのを会社のせいにしているようだった。私はそうならないように、アシスタント業務も手を抜かず、吸収できるものは全て身につけようと思った。

文句を言いながら何人か社員が辞めていったおかげで、私はアシスタントから営業の担当に昇格した。そしていきなり、会社の大きなクライアントのメインの担当になれたのだった。今考えたら何もわかっていない私がそのような立場に立つこと自体、会社にとっては冒険だった。責任ある仕事を任されてかなり嬉しかった。

当時、女性にとって仕事は「結婚までの腰掛け」とあたりまえのように思われていたので、営業職につけるのは画期的なことだったのだ。思いがけず、念願の職種に付けて、心の中では舞い上がった記憶がある。

相変わらず仕事は華やかではなかったけれど、いろいろなことを覚えた。広告のメインは雑誌だったが、ほかに、テレビやラジオ、クリエイティブの仕事も担当することができた。未経験の職務が多く、いつも「初めての場面」で緊張の連続だった。相変わらずお給料はよくなかったけれども、刺激的な毎日でもあった。

そして私も時間の限り、他の営業部員と同様に、新規の会社にアプローチをした。候補の社名をリストにして一社ずつ電話をしてアポイントを取る。ようやくアポイントを取り付けると実際セールスに伺う。この仕事は得意ではなかったが、ルーティンワークとして続けていた。電話をしても会ってもらうまでが大変だった。そして一度会ってもらったら、しばらく経ってまた理由をつけて顔を覚えてもらうため再度会いに行った。そういうことを続けていたら小さいけれど仕事をいただけたこともあり、その時はかなり感激した。既存クライアントの仕事とは別の喜びや達成感を感じたものだった。

結局この会社には2年半在籍したのちに退社した。社員が辞め続け、気づいたら私より長く働いている人がほぼいなくなったのだ。会社での居心地はよかったけれど、まだ20代そこそこで上司がほとんどいないのも問題だった。もはやここで学ぶものはないかもしれないと判断した。そして会社に見切りをつけたとたん、出版社の人から違う広告会社を紹介されたのだ。

そこからさらに、20年以上広告の世界に身を置くことになった。けれども思い返すと、広告の仕事の基本が作れたのは、当時はつまらないと感じた最初のこの会社で覚えた仕事のおかげだったと思う。

スタートこそ自分の中ではパッとしなかったけれど、あきらめず目の前の仕事をコツコツやってみた。他の男性社員のようにすぐに営業というレールも引かれていなかったので、横目で見ては羨ましかったけれど、とりあえず与えられた仕事をコツコツ続けていたらある日道が開けたのだ。

そして当時苦手だった新規先を取る!という営業のミッションもその後とても役に立った。リストアップのしかた、電話のかけかた、アポイントの取り方、訪問してからの会話、その後どう継続していくか、全て見よう見まねでやっていたことだが、ルーティンとして継続していたおかげで身についていた。

長く仕事をしている中で、バブルがはじけたり、リーマンショックがあったりと、広告業界にも危機は何度か訪れた。けれどもどんな時も、いつでもまたゼロからやり直せるという自信があった。ある仕事で身につけたことが次につながっていくことは多い。既存のクライアントがなくなってもまた他をアプローチする、その連続だった。

誰でも、どこにいても学ぶことはきっとある。自分で何も動かずに、何もやらないで、文句を言っていても何も学べないで終わってしまう。悪口を言うのは簡単だけれどそれでは何も変わらない。

目の前のことをやって納得いくまでやりきってみる。そうすれば道は必ず開けていくのだ。

Illustration:Nao Sakamoto