会社を辞めたくなるのは、取引先の担当者と合わないから?

仕事をひととおり覚えて3年くらい経ったころ、会社を辞めようと思う人が多いのではないか。理由は、①職場の人間関係がうまくいかない、②仕事の内容がつまらない、③給料が低い、あるいは労働時間が長い、社風が合わない、そもそも仕事が向いていないなど、さまざまだろう。

とくに、人間関係の悩みは深刻だ。仕事の中身よりも、上位に来ることが多い。上司や同僚ばかりではなく、社外の取引先と合わないと悩む人もいるだろう。嫌な相手でも、仕事となれば逃げるわけにいかないのだ。

私も広告会社で長く仕事をしてきたが、若いころは人間関係でもがいたこともあった。自分が担当していた、取引先のクライアントを毎日のように訪ねると、年上の担当者が口をきいてくれない。今ならメールでやり取りもできるが、直接あるいは電話でしか、コミュニケーションの手段がなかったころは、相手の機嫌を損ねたら最後、仕事が進まなくなってしまう。私が「何か気に触ることをしましたでしょうか?」と尋ねると、火に油を注いだかのごとく、あたりに怒鳴り始めた。

相手がクライアントとなれば、こうした事態に打つ手はない。もし、「担当者を変更してください」などと、こちらが言おうものなら、取引自体がストップしてしまう。自分が「会社を辞める」という選択肢しかないのか。

そんな私が仕事をつづけたのは、「やっぱり女性はだめだ」と言われたくなかった、ということに尽きるかもしれない。当時、アシスタントとして誰よりも長く下積みをして、ようやく役職を与えられたときだった。ここで弱音を吐いてやめてしまったら、自分の今までの苦労が水の泡になり、女性の起用もなくなってしまうかもしれない。

辞めるという選択肢がなければ、そこで「何とか道筋を探す」方法しかない。直球ではあったけれど、私は取引先の担当者に話し続け、相手の機嫌がよいタイミングで提案の返事をもらいつつ、ときに雑談もはさんだ。かたくなだった相手の態度も次第にほぐれ、明るく対応してくれたり、ランチに誘ってくれたりするようにもなった。

今の自分には到底できないと思えることが、そのとき可能だったのは、毎日必死だったからだ。「あのとき辞めなくてよかった」と心から思えたのは、実はもっとあとになってからだ。当時、その取引先のもとに通っていたとき、担当者のアシスタントや他の部署の人たちがことあるごとに情報をくれるなど、助けてくれていった。担当者が退職した後も、その周囲の人たちとの信頼関係が続き、その人たちに助けられながら、仕事がさらにスムーズにできるようになったのだ。

私がもし、あのとき会社を辞めていたら、苦手な相手からは逃れることはできたかもしれない。けれど、私は踏みとどまったことで、相手への我慢を学んだのではなく、結果的にもっとすばらしい、信頼や感謝でつながる人間関係を築く経験を得ることできたのだ。もちろん、必死だったそのころは、そのすばらしさや価値に気が付いてはいなかったのだが。

会社を辞めたいというのは、誰しもがぶつかる思いだ。けれど、今悩んでいる人も結論をすぐに出さないでほしい。状況は日々変化するもの。今の自分にはまだ見えていないけれど、乗り越えることで大きなチャンスが現れるかもしれないのだ。人間関係は仕事のモチベーションを左右する大きな要因になるけれど、たった一人の人間のために、自分の積み上げたキャリアを無駄にすることはない。人間関係で悩んでいた当時の自分に、もし声をかけることができたら、私はこう言って励ますだろう。「大丈夫。嫌なことは続かない。自分が納得できる仕事をすれば結果はついてくるのだから」。

Illustration:Nao Sakamoto