ロボットはメディアではない!?メディアアートの可能性

冷静に考えればもちろん、足りないものはたくさんある。オルタは生命感や人間らしさを機械で表現することを目的としたものである。その目的を十分に果たしているかというと、もちろんまだまだ改良の余地はある。なので、優秀賞をいただけたことは非常にありがたいことである。むしろ、今回の受賞で、我々の取り組みに理解が多少とも得られたのではないかと、期待感を膨らませている。

そういった思いの一方で、やはりどうしてもぬぐい去れないのは、芸術分野にある芸術と科学技術の見えない境界線のようなものである。新しい科学技術には分野もなく、それを行うための資格もない。教員のような教員免許に相当するようなものはない。芸術の分野、特に科学技術を新たな手段として取り入れ、これまでの手段では表現出来なかったものを表現するメディア芸術の世界においても、分野も資格も必要無いはずだと思う。でもなぜかそれがあるような気がしてならない。

世界的にも有名な海外のメディア芸術祭の主催者とそういったことを話したことがある。長年関わりながらなかなかよい賞をもらうことができない。それで、思い切って相談してみたら、「ロボットというカテゴリがないからだ」と言われた。とてもびっくりした。人と関わるロボットはメディアじゃないんだと。大きな勘違いをしていた気がした。メディアアートといえども、既に細かい分野や方法論が確立しており、それに従ったものでないと評価されないという。それは本当にメディアアートなのだろうか。メディアアートではなくて、本来メディアアートが限界を感じていた伝統工芸のような世界を再び作り出しているのではないか。

私はメディアアートの分野にとても期待を抱いている。芸術の世界は伝統工芸化した分野が多い。それらは特に文化という視点において非常に重要である。しかしそれでは、新しいものを生み出すのに障害が発生することもある。メディアアートは、あらゆる新しい手段を駆使して、今まで表現できなかったものを表現するという本来のアートの姿を取り戻そうという活動だと認識している。

しかしながら、メディアアートの世界は作品において、科学技術の力が大きくなると、優れたアート作品としてみなされない傾向があるように思える。アートとは何だろうか?本来それは、科学技術と同じかそれ以上に社会的に大きな役割を持ってきた。アートから科学や技術が生まれてきたといっても過言ではない。科学技術の研究において、新しい発見は、実験や調査の果てに、最後は研究者の直感によってもたらされる。新しいものを発見したり、新しいものを作るということは、そういう芸術的センスを要求するのである。

それ故、メディアアートは科学技術を分け隔て無く受け入れ、それが表現する未知のものを、その手段を問わずに、評価するものであってほしいと思うのである。日本のメディア芸術祭も、そこに認められた我々も、技術大国日本を支えていくようなメディアアートの活動を展開することが使命なのだと思う。

Photo by Justine Emard

【PR】
Vol.1<ナポレオンに思いを馳せつつクリュッグを嗜むとは!?>
Vol.2<フランスもクリュッグもイギリスと友好!?>
vol.3<クリュッグの歴史とフランス史は重なっている!?>