将来、ロボットは人権を持つ!?

Photo:Kurima

最近特に、ロボットの倫理について質問されることが多くなってきた。「人間とロボットはどのような関係を持つべきか、ロボットに人権を与えるべきか、自律型ロボットが暴走したときは誰が責任を持つべきかについて、議論を始める時期に来た。ついてはこれらの問題についてどう思うか?」という質問である。

一方で、この質問に似た質問が、「近い将来ロボットに仕事を奪われることが心配なのですが、どう思うか?」という質問である。両者の質問は異なるようでいて、実のところ同じ意味を持っているように思える。前者は倫理、後者は単に仕事が奪われる心配ということで、一見、前者の方が何か学術的な質問のように思えたりするのだが、どちらも同じように、仕事を奪われるという危機感から生まれてきた質問に思えるのである。

そもそも人間とは、道具や技術を使う動物であり、人間から技術を取り除けば、人間ではいられなくなる。そしてその技術が最も発展したものがロボットであり、人間とロボットは互いに比較するものではなく、共存するものである。人間は他の動物とは異なり、遺伝子の他に技術という進化の方法を持つ。技術によって能力を拡張するのが人間であり、それが他の動物との違いである。

それなのに、人間はロボットに仕事を奪われると心配する。それは、ルネッサンスのころも、パソコンが普及したときも心配されたことである。人類の歴史において、新たな技術が生まれる毎に、その心配が繰り返されてきている。しかし、もちろんのこと、心配があるからといって技術開発が止まることはない。そして学習能力や適応能力の高い子供や若い人達は直ぐに新たな技術を取り込み、自分のものとしていく。ロボットもこれまでの技術と同じである。若い人達にとってそれは、比較する相手ではなく、共存する相手になることは容易に想像できる。

ただ、ロボットは従来の技術よりも、より人間に近いものとして認識され、何か独立した人格を持つように思えるので、仕事が奪われるという危機感が強いのだろう。

これまでは、たとえば自動織機が機織りの仕事を奪い、パソコンが会計士の仕事を奪ってきた。しかし、自動織機やパソコンの使い方を覚えれば、より効率のよい仕事ができるようになる。ロボットの場合はより人間に近いものになる可能性があり、その意味で、道具として使うものではなく、仕事を奪う者であると同時に、適応できれば互いに共存する者になるという直感が人々の間にあるように思える。

こういった議論の一方で、ロボットの社会問題にはおそらく殆ど答えが出ている。まず、責任問題は、保険が解決する。人間も全てにおいて自分で責任が取れる訳ではなく、もしもの場合には保険で備える。人間と同様である。そしてロボットが社会の中で受け入れられるようになると、人間が人間に人権を与えてきたように、社会においてパートナーとして受け入れられる者には、我々人間は人権を与える。故に、将来ロボットが人権を持つことはほぼ明白だと思える。

すなわち、我々は最初からロボットが自分たちのパートナーとなり、自分たちと同様の存在になることを直感的に理解しているのである。それ故に、もしかしたら、仕事を奪われるという恐れや、自分たちがロボットよりも劣った存在になる恐れを、倫理の問題に置きかえているところがあるのではないかと思えるのである。

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