大谷陽一郎の『雨』が視覚詩としてのグラフィックデザインを切り拓く

『雨 大谷陽一郎 作品集』より

デザインのミカタ#11

私の研究室に所属する学生が作品集を出版した。著者は大谷陽一郎。近畿大学文芸学部を出てから、デザイン事務所で働きながら桑沢デザイン研究所に通い、一昨年に東京藝術大学大学院に来た。

大谷はその年、桑沢デザイン研究所での卒業制作作品で、学生にとって最も権威あるグラフィックデザイン賞である「JAGDA学生グランプリ」を受賞した。卒業制作は「日本の雨」をテーマにしたもので、桜を散らす雨「花時雨」、晩夏に涼しさをもたらす雨「涼雨」など、それぞれの雨の性質が「雨」という漢字を使ってイメージできるようになっていた。

作品集の書名は『雨』。アートディレクターの井上嗣也が大谷の作品を気に入って、作品集出版の話が持ち上がった。大谷は大学院を休学して、この本のために井上のディレクションのもと800余点ものの作品を描いた。作品集にはそこから厳選された70点が掲載されている。

『雨 大谷陽一郎 作品集』

井上嗣也は1980年後半、私が『デザインの現場』という雑誌の新米編集部員だったときには、すでにパルコやサントリーの広告などでスター的な存在だった。特に写真のディレクションは傑出していた。

今に至るまで話をしたり、取材したりしたことはないが、井上が1988年から1991年に編集者の小指敦子と制作したコム デ ギャルソンのビジュアル雑誌『Six』を初めて見たときの興奮はよく覚えている。その斬新で緊張感ある誌面は、今見ても目を見張るものがある。

大谷の『雨』を開いて『Six』を思い出した。グラフィックデザインは網膜を切り裂き、思考を強制停止させて、意識の深奥を射貫く。

本書に掲載されている作品は、「雨」という漢字がモチーフになっているのは同じでも大谷の卒業制作の作品とは大きく違っていた。どこに「雨」という漢字があるのかはっきり分からない作品が入り混じっている。遠目で見れば「雨」という漢字に見えるかもしれない図像。文字なのか、ただの線なのかわからない激しい筆の走り。水滴のようなノイズ。光の軌跡。闇の侵入。それらは「空から降る水滴」という雨の根本的な定義を思い起こさせる。もはや雨のさまざまなイメージをそれっぽく表現した小器用な作品ではなくなっていた。

『雨 大谷陽一郎 作品集』より

雨は生命の源泉である。地球の息づかいが聞こえるかのような生命のイメージが、ダイナミックな筆づかい、大胆なトリミング、流動する粒子が散乱するモノトーンの画面によって表現されている。

『雨 大谷陽一郎 作品集』より

昨今、こうしたグラフィックデザイン作品が本当に減ってしまっている。私たちはしゃべる白い犬にすっかり慣らされて、広告デザインでは物語性ばかりが重視されている。ソフトバンクの白戸家のコマーシャルは2007年6月に始まり、もう10年も続いている。

ディズニーの世界のように、物語が物語を生む構造をつくりだし、ユーザーが気づいたときにはそのいつまでも続く物語に参加している仕組みづくりは確かに重要だし有効である。

しかしこうしたなかで、グラフィックデザインはパッケージやロゴや冊子などの「物語の小道具デザイン」になってしまっている。

もともと大谷の作品は、文学的な雨の言葉をもとに描かれた物語性のあるものだった。その物語性を、井上が大谷に800余点ものの作品を描かせるうちに剥ぎとってしまったのだ。そして、一枚一枚が瞬時に煌めく視覚詩に昇華する。

グラフィックデザインが切り拓く視覚詩にはまだまだ可能性がある。終わりのない物語としてのブランディングの対極に位置する、閃光のような視覚詩としてのグラフィックデザイン──。本書はその可能性を問いかけている。

さて、本書の著者がどれほどこの作品集の重要性を認識しているのか。指導教員としてはそこがとても気になるところである。

『雨 大谷陽一郎 作品集』
著者:大谷陽一郎
アートディレクション・デザイン:井上嗣也
価格:4600円+税
出版:リトルモア