夜遊びは大人の文化だ!そんな“遊び場”を作り続けてきた男、岡田大貳

レストラン熱中派 #31

『ダイニズテーブル』店内
Photo:ダイニズテーブル

南青山『ダイニズテーブル』は2017年に創業36年となる。南青山と西麻布の境にひっそりと灯りをともしたこの店が36年も続いていること自体驚きだ。が、その店のモダンな空間、そしてヌーベル・シノワ(新中国料理)という料理のコンセプトが少しも古びていないことに、オーナー岡田大貳氏のセンスの良さを痛感する。

「オープンの1981年当時はフレンチやイタリアンがようやく銀座や西麻布に増えてきた時代でした。それと同じじゃ面白くありません。そこで思い出したのが、当時ロンドンで話題だった“MR.CHOW”(ミスター・チャオ)っていう店なんです。

料理はチャイニーズだけど、テーブルセッティングはフレンチスタイル。レセプションには金髪の美女がいるし、サービスはイタリア人が担当。これは面白いなと思いましてね」。

この時期、日本でのレストラン文化のお手本はフランスだった。それを岡田氏はあえて飛び越え、食では評価の低かったロンドンの“レストラン”の意外性に注目した。

「レストランは料理だけではないですから」。岡田氏はテーブルに箸とナイフ&フォークを置き、バーのように照明を落としたチャイニーズレストランをオープンさせた。噂を聞きつけた芸能界、文化人、政財界人など銀座や六本木で遊んでいた景気の良い人たちが詰めかけ、瞬く間に大人の空間になったという。

ダイニズテーブル(店内)
店内に入ると、まずウエイティングバーがある。これも欧米のレストランではポピュラーなスタイルだが、日本の中国料理店では画期的。常連客はさすがに使い方を心得たもので、ここで食事をしたり、バーとして一杯飲むなど、それぞれ自由に利用している。
Photo:ダイニズテーブル

岡田氏がそれだけの人を呼び寄せられたのは、70年代に“ディスコ”のプロデュースで得た幅広い人脈にある。夜遊びと言えばカラオケや飲み会しかない現在とはひと味違う、特別なサロンの主。いったい岡田氏とはどんな人物なのだろうか?

岡田氏が大学卒業と同時にパリを目指したのは1969年。今からほぼ半世紀前のことだ。父親がナイトクラブ赤坂『ミカド』のショーをプロデュースするという仕事をしていたから、世界のショービジネス界とのコネクションがあった。岡田氏は父の紹介状を持ってパリの『リド』を訪ねる(このスタートからしてフツーじゃない!)。

当時、料理修業を志す料理人がホテルを中心に徐々に増えた時期だが、ショービジネスを勉強に行く若者は岡田氏くらいのものだったろう。

1972年、パリの『リド』にて。25歳の岡田氏。この頃からスーツはダブルで。 Photo:ダイニーズテーブル
1972年、パリの『リド』にて。25歳の岡田氏。この頃からスーツはダブルで。
Photo:ダイニズテーブル

パリで、岡田氏は年齢や男女にかかわらず可愛がられたという。それは彼の持つ天性の魅力によるところが大きい。誠実であること、センスを磨くこと、自分をアピールできる部分を知ること。岡田氏が掲げる“モテ男の3ヵ条”だ。合計3年半、ショービジネスの世界の裏方修業(=いずれ経営者となるための英才教育)をきっちり身につけて、帰国した。