お正月は幸服を呼ぶ新しい古着で!? 十条駅前の古着屋『PEG』をのぞくと

モード逍遥 #28

古着が女性たちの間で注目されているらしい。シェアリング・エコノミーという崇高な目的で、古着屋やフリマへ通う女性もいらっしゃるのだろうが、多くの場合は一過性のブームに乗っているだけだと筆者は見ている。

おそらくファストファッションに飽きたセンスの良いどこかの女性が古着に目をつけ、「個性的でカワイイ!」と広がったのであろう。

女性たちはラクジュアリーブランドもファストファッションも、そして定番スニーカーまでも流行と捕らえ、見境なく使い捨てる。だから古着屋の経営者は、痛い目にあう前に、「女モノをたくさん仕入れよう」などと、捕らぬ狸の皮算用はやめたほうがよい。

お洒落な欧州調のワードローブで固めた伊丹十三さんが、突然に米軍放出品のアーミージャケットを着るようになったのは、いつ頃のことだったろう?

調べてみると、それは1969年頃だと判った。

原宿のセントラルアパートに編集部があった伝説の雑誌『NOW』文化出版局のNo.14冬の号に、“俺のワードローブ”と題して伊丹さんが当時流行中だったアーミールックについてインタビューを受けていたからだ。

Photo:Shuhei Toyama

記事によると、伊丹さんが古着のアーミージャケットを着始めたのはヒッピーの役柄がきっかけだったという。それを着た途端に、なにか生理的にピタッと合ったのだそうだ。

「僕はいつもアメ横で買ってくるんです。サンローランなんかでもアーミースーツ風なものを出してるけど、あれはダメなんですよ。あれはモードであって、ファッションじゃないわけですよ。ファッションというのは、つまり生き方であってね。こういう、何かに対する拒絶を表すような物を作るってことができないわけですよ」と、述べている。

伊丹さんは、サープラスウエアを着るのは思想を体現するものだ、とおっしゃりたかったのであろう。

考えてみれば1970年代初頭は、未来に対する不安を大衆が感じ始めた時だった。そんな時代は、誰かの消費的欲求に訴える上等品よりも、最初から作業着として作られたようなものを選ぶほうが、知性派の伊丹さんには心地良かったのである。

そういえば筆者も、あの頃は放出品や中古のリーバイスやリーばかり着ていたなァ、と考えながらご近所(JR十条駅周辺)を散策していたら、なんと顔馴染みの古着屋『PEG』のお若い店主が電ノコを振り回して新しい店造りに奮闘しているではないか。

聞いてみると、何やら地域再開発のアオリもあって旧店舗を畳んだ後、新規開店費用を抑えるために、壁や床から什器に至るまで内装のすべてを自分で手作りしている、というのである。

かってこの街の近くには米軍のベースキャンプが点在していて、『ボート屋』、『勉強堂』、『ヤンチャ屋』といったサープラスショップ(昔はGパン屋といった)の名店がしのぎを削っていたから、筆者はアメ横などに通う必要はなかった。そんな伝統をもつ街の、唯一の正統的古着屋を継承する店なら、ひとつ取材してみようと好奇心に駆られたのである。