新事実が判明!ヘンリー・プールで初めてセビロをオーダーした日本人はプリンス・キタだっ た

モード逍遥 #24

Photo:Shuhei Toyama

12月10日は筆者にとって特別な日である。というのは、いまから144年前のこの日(明治5年の旧暦11月12日)に、天皇の直喩により礼服が和装から洋装に定められたからだ。

それ以前の宮中の重大儀式には、衣冠着用が義務づけられていた。それが洋式・大礼服へ激変したのである。

明治政府内の老人、とりわけ元藩主や元公家などはこれに猛反対し、断髪をせずに和装のままで抵抗した者もあったそうだ。

もしこの断行が失敗したら、日本の装いに近代化は起こらなかったわけで、当然筆者の職業などは存在していない。この日、あるいは洋服記念日の11月12日は、業界関係者のスペシャルデイなのである。

明治5年は日本にとって改革の年であった。この他にも職業選択の自由、人身売買の禁止、子女の大相撲見物の解禁、徴兵制スタート、太陽暦の採用といった近代化が進んだ。さらにガス灯がつき、新橋・横浜間の鉄道が開業したのもこの年からである。

ところで、大礼服のデザインは誰が決めたのだろう。調べてみると、政府の諮問機関(左院)にいた宮島誠一郎という人物が、西欧の事情に通じたお雇い外国人ジ・ブスケとともに考案したという。

デザインは、ナポレオンの大礼服を参考に、桐紋様の刺繍が入った上着と、金モールの側章のついた白いトラウザーズという壮麗なもの。この装飾の違いで、位階の差が判る工夫がされていた。

ちょうど同時期に、欧米へ派遣されていた岩倉使節団から大久保利通と伊藤博文が急遽帰国してきた。そこで宮島は出来上がったばかりの大礼服のデザイン案を、とんぼ返りで英国へ戻る大久保に渡したのである。