“最大公約数の普通”の日常を考察する、さいたまトリエンナーレのじわじわくる効用

アートうたかたの記 #10

「さいたまトリエンナーレ2016」は、今年初めて立ち上げられたアートフェスティバルの1つだ。全国で開催された国際芸術祭のなかでも、ある意味でチャレンジングな試みだったと思う。

首都圏最大級のベッドタウンさいたまは、東京とも地方とも明確な違いを打ち出しにくい、突出した特徴のない地域だ。自然のなかで行われる芸術祭のように、土地の風土や産物を生かした特色を出すことはむずかしい。

実は筆者の周囲には、さいたま出身者が非常に多いのだが、声高にアピールする人はあまりいない。

一方で、現在日本映画やドラマで描かれる生活やそこで起こる出来事や事件の多くは、さいたまに象徴されるすべての郊外都市を想定して制作されているともいえる。そう考えると、この芸術祭は“日本一の最大公約数の普通”について考えるチャンスになるかもしれない。

たとえば、本展チラシに使われている写真家・野口里佳の作品は、地元出身の彼女が子どもの頃から慣れ親しんだ近所の風景を撮影したものだ。それこそ、一見どことは特定できないありふれた景色だからこそ、写真家の冷徹な目の力が際立ち、その平衡感覚を育んだ社会的背景までもが見えてくる。

野口里佳 NOGUCHI Rika 撮影:野口里佳 Photo: NOGUCHI Rika
野口里佳  NOGUCHI Rika 撮影:野口里佳 Photo: NOGUCHI Rika

秋山さやかは、ある土地に滞在し歩いた足跡とともに、人々との出会いや経験を刺繍でたどる平面作品で知られている。今回は約4ヶ月にわたり大宮に滞在し、自分宛てに毎日手紙を投函するという新しい手法を試みた。空間を埋め尽くす手紙や刺繍糸の集積に、自身の行動や思考と日々向き合う内省的な発見を見ることができた。

いま各地でひっぱりだこのユニット「目」は、ここでも観るものを覚醒させた。木立の中の(一切ネタバレできない)驚嘆の空間は、時空にぽっかりと孔を穿ち、ほんのひととき金太郎飴のような日常を裏返してくれた。